住宅流動性と人生設計の経済学

第4回:取引の重さの経済学──情報・信頼・制度をPropTechはどう組み替えるか

目次

日本の不動産取引の重さは、慎重な国民性の結果ではない。過去の合理性が制度として残り続けた結果である。そしてテクノロジーが本当に変えられるのは、その重さの一部であって、すべてではない。

前回(第3回)を受けて:四つの壁の「制度的厚み」を測る

第2回では、AI とは何か、AI は本当に仕事を奪うのか、技術と社会のビルトインにはどれほどの時間がかかるのかを、産業横断の視点から論じた。第3回(前回)では、その枠組みを住宅市場に適用し、日本の住宅市場が「動かない」のは 四つの壁、金融、技術、人口動態、資産観、の同時的な制約による、と論じた。本連載(第4回)では、これらの壁のうち、特に「取引の重さ」、すなわち契約・情報・信頼の構造に焦点を絞り、その厚みを制度的に測り、テクノロジーがどこまで変えられるのかを論じていく。言い換えれば、本連載は第2回の AI マップ的な発想、業務をタスクに分解し、人間と機械の分業を再設計する、を、住宅取引という具体的な舞台に当てはめる回である。

 

「家を買う」という言葉の重さ

「家を買おうと思っているんだ」、友人にそう打ち明けられたら、あなたはどう反応するだろうか。 「おめでとう」と言いつつ、心のどこかで「大変だね」と思うのではないか。住宅ローン、頭金、物件選び、仲介業者との交渉、住宅ローン審査、重要事項説明、契約、登記、引越し。聞いただけで気が重くなる手続きの連鎖が思い浮かぶ。

 

これは日本に住む人にとって当たり前の感覚だが、実は世界的に見るとかなり特殊な感覚である。アメリカのある若い夫婦が「家を買おうと思っている」と話す時、その声には日本人ほどの重みはない。ボタン一つでオンライン申請できる住宅ローン、24時間以内に届く事前承認、スマートフォンで完結する内見予約、電子署名で完結する契約。家を買うことは、ライフステージごとに繰り返される、比較的軽やかな選択である。

 

なぜ日本では不動産売買がこれほど重く、面倒なのか。そして、いま世界中で進化しているテクノロジーは、この重さの何を一番変えられるのか。本連載ではこの二つの問いを、不動産経済学の視点から解きほぐしてみたい。

 

取引一つに何人が関わるのか

ある中古マンションの売買を想像してみよう。売り主、買い主、売り主側の仲介業者、買い主側の仲介業者、売り主の住宅ローンを組んでいる銀行、買い主の住宅ローンを組む銀行、火災保険会社、団体信用生命保険会社、司法書士、土地家屋調査士、管理組合、引越し業者、税理士、場合によっては弁護士。ひとつの物件が動く時、これだけの関係者が登場する。

 

それぞれが独自の書類フォーマットを持ち、独自の審査基準を持ち、独自のタイムラインで動いている。登記情報、固定資産評価証明、管理組合の重要事項調査報告、住宅ローン関連書類、本人確認書類、印鑑証明、住民票。買い主は仕事の合間に役所を回り、書類を集め、銀行に提出し、追加資料を求められ、また役所に行く。決済日には、銀行の応接室に売り主・買い主・仲介業者・司法書士が集合し、書類への押印、ローン実行、登記移転、鍵の引渡しが、午前中の数時間で連鎖的に行われる。儀式のような厳粛さで進むこのプロセスを、多くの日本人は人生に1~2回しか経験しない。

 

これに対してアメリカのほぼ全州では、エスクロー会社という第三者機関が登場する。買い主は契約後、エスクロー口座にお金を預け、必要書類はすべてエスクロー会社に集約される。売り主と買い主が同じ部屋に集まる必要すらない。Title insurance(権原保険)が登記の連続性を保証し、リフォーム履歴はホームインスペクション報告書として標準化される。意思決定に必要な情報は、買い主が自宅のソファでスマートフォンを見ながら確認できる。

 

制度思想としての日米の差

米国:エスクロー、権原保険、MLS(Multiple Listing Service)、ホームインスペクションの標準化。情報・資金・登記・保険を制度的なインフラとして集約している。個別の専門家の信頼に頼らず、制度が信頼を担保する。

 

日本:仲介業者、司法書士、銀行、保険会社、管理会社が個別の信頼関係で連結されている。集約装置は明示的には存在せず、プロたちの暗黙の協調で取引が進む。これは美しい慣習でもあるが、同時に高い参入障壁でもある。

 

英国:ソリシター(Solicitor、事務弁護士)が取引の中心に立ち、conveyancingと呼ばれるプロセスで権利移転を一括して扱う。日米中間型と言える。

 

シンガポール:HDB(住宅開発庁)が公的住宅の8割を供給し、取引手続きも標準化されている。国家による住宅市場のフォーマット化が極端なまでに進んだ事例。

 

これらの制度差を見ると、日本の取引の「重さ」は、信頼を制度ではなく人で担保する設計の必然的帰結であることが見えてくる。

 

なぜ日本ではこの集約装置が育たなかったのか。それは、日本の不動産取引が「個別の信頼関係の積み重ね」で成り立ってきたからである。仲介業者と銀行、司法書士と仲介業者、管理会社と仲介業者、プロたちはお互いを知っていて、お互いの仕事の質を信頼している。だから細かな取り決めなしでも取引は進む。これは美しい慣習に見えるが、外から入る人間にとっては高い参入障壁だ。誰がどこで何を判断しているか、消費者には見えないからである。

 

「情報」が縦に分断されている

家を買うという行為は、煎じ詰めれば情報を集めて判断することである。立地、間取り、建物の状態、近隣の環境、学区、災害リスク、価格相場、ローンの組み方、税制優遇、将来の資産価値。これらの情報を集めて統合し、自分のライフプランと照らして決断する。その情報の集め方が、日本では極端に効率が悪い。

 

物件情報を例にとろう。日本ではレインズ(不動産流通標準情報システム)という、不動産業者向けの物件データベースがある。だが消費者はレインズに直接アクセスできない。 SUUMO や LIFULL HOME’S、At Home に出ている情報は、各仲介業者が個別に登録した重複情報の山であり、整理されていない。同じ物件が複数の業者から異なる写真と異なる説明文で掲載され、価格にもばらつきがある。「囲い込み」と呼ばれる慣習、仲介業者が自社で売り買い両方を担当したいために他社への情報開示を絞る、も、いまだに業界の構造的な問題として残る。

 

アメリカでは MLS(Multiple Listing Service)という業界共通のデータベースが州ごとに整備され、消費者向けにも基本的な情報が公開されている。 Zillow はこの公開情報の上に、独自の Zestimate という価格推定モデルを乗せて成長した。 Zillow は、Zestimate のオンマーケット物件における全国中央値誤差率を1.74%、 オフマーケット物件で7.20%と公表しており、 主要市場ではオンマーケット物件の多くが最終販売価格の10%以内に収まると説明している。

 

この数字は、AI 査定の可能性を示すと同時に重要な含意を持つ。AI の精度は、AIの賢さだけで決まるのではない。市場にどれだけ取引があり、物件情報がどれだけ整備され、修繕履歴がどれだけ記録され、価格がどれだけ透明に形成されているかによって決まる。オンマーケット(市場に出ている)物件で精度が高く、オフマーケット(出ていない)物件で精度が落ちるのは、AI のせいではなく、データ環境の差である。AI の限界は、しばしば市場制度の限界である

 

価格情報以外も同様に縦割りである。建物の状態は、建築士やホームインスペクターに別途依頼しなければわからない。リフォーム履歴は前所有者に聞くしかなく、しばしば失われている。災害リスクは自治体のハザードマップを見るが、物件単位の情報は曖昧。学区情報は教育委員会のサイト、税情報は国税庁のサイト、近隣の犯罪情報は警察のサイト。買い主は情報の探偵にならざるを得ない。

 

MIT のサイス教授は2020年の論文で、PropTech の進展がもたらす最大の変化のひとつは 「データ寡占の出現」だと指摘した。Zillow、CoStar、Redfinといった企業は単なる情報サイトではなく、市場のあらゆるデータを集約するプラットフォーマーである。日本ではこの集約装置がまだ十分に育っていない。SUUMO も LIFULL も巨大な物件ポータルではあるが、契約や決済までは統合されておらず、価格推定モデルも公開されていない。情報を一元化するインセンティブが、業界の構造のなかで歪んでいる。

 

筆者自身、オックスフォードのバダリンザ、ラマドライ両氏との共同研究において、国際的な不動産投資の流れがサーチ摩擦と「重力構造」によって決定されることを実証してきた(Badarinza, Ramadorai & Shimizu 2021, JFE)。そこで得られた知見の一つは、情報摩擦と心理的距離が、物理的距離と同じくらい、あるいはそれ以上に、取引行動を制約するということである。距離は地理ではなく、情報と信頼によって測られる。この見方を国内の住宅市場に当てはめると、日本の住宅取引の重さは、物理的に取引を難しくしているのではなく、情報と信頼の構造そのものを縦割りにしていることに由来している。

 

中古住宅市場と情報の非対称性

中古住宅は、売り手のほうが買い手よりも物件の状態をよく知っている。これを「情報の非対称性」という。ジョージ・アカロフが「レモン市場」論文(1970)で論じたように、情報の非対称性が大きいと、市場は機能不全に陥る。よい品質の中古品の所有者は売りたがらず、市場には品質の悪いものばかりが残る。

 

中古車市場では、CarFax のような事故歴・整備歴データベースと、ディーラー保証、第三者検査制度がこの非対称性を緩和してきた。住宅市場でも同じ問題が存在するが、日本では住宅履歴情報のインフラが未成熟なため、情報非対称性が大きいまま残っている。これが中古住宅市場の薄さの一因である。

 

PropTech が貢献できる最大の領域は、まさにこの情報非対称性の縮小である。ただし、これも技術だけでは解けない。履歴情報を記録するインセンティブを誰が持つのか、記録の信頼性を誰が担保するのか、という制度的な問題がある。

 

英国 Conveyancing と「信頼の制度化」

英国の住宅取引では、ソリシター(事務弁護士)が中核を担う conveyancing と呼ばれるプロセスが、所有権の連続性を確認し、瑕疵を調査し、決済を仲介する。日本における司法書士の役割を、より広範に、より早期から取引に介入する形で行う。

 

この制度の特徴は、信頼を専門職に集約しつつ、その専門職を厳格な職業倫理と保険制度で支えている点にある。 ソリシターは Solicitors Regulation Authority によって規制され、業務上のミスは Professional Indemnity Insurance でカバーされる。信頼が個別の人間関係ではなく、職業規律と制度的補償によって担保されている。

 

英国モデルが教えるのは、取引の重さを完全に消すのではなく、重さを支える主体を「個別の人間関係」から「制度化された専門職」へと移し替えるという選択肢である。日本のように、宅建業者・銀行・司法書士・保険会社・管理会社が個別の信頼関係で結ばれている構造とは対照的だ。PropTech が日本の取引慣行を作り替えるとき、信頼をどこに移すのかという問いを避けることはできない。

 

なぜ「重さ」が温存されてきたのか

ここで一歩引いて考えてみたい。これほど不便な仕組みが、なぜ何十年も温存されてきたのか。

 

理由の第一は、取引頻度が低いからである。日本人は生涯に住宅を購入するのは1回程度。一生に一度しか経験しないから、消費者は「比較する基準」を持たない。初めての海外旅行で、空港の行列の長さに不満を覚える人は少ない。それが普通だと思うからだ。住宅取引の面倒くささも、消費者にとっては「そういうもの」として受け入れられてきた。

 

第二の理由は、業界の収益構造である。日本の宅建業者の主な収入は、売買仲介手数料(売買代金の3%プラス6万円)である。一件の取引が成立しなければ、業者は1円も儲からない。だから業者は取引を「成立させる」ことに全エネルギーを注ぐが、取引の「効率を上げる」ことには必ずしも熱心ではない。むしろ手続きが複雑なほど、専門家としての価値が温存される。これは医療や法律と似た構造である。

 

第三の理由は、規制と慣習の絡み合いである。日本の宅建業法は1952年制定で、何度も改正されてきたが、骨格は対面・書面・押印の世界を前提にしている。2022年5月18日施行の改正規定により、重要事項説明書、契約締結時書面、媒介契約締結時書面等について電磁的方法による提供が可能となった。しかし、書面が電子化されることと、取引の構造が変わることは同じではない。紙を PDF に置き換えるだけなら、それは旧来の取引儀式を画面上で再演しているにすぎない真の DX とは、誰が情報を持ち、誰がリスクを負い、誰が判断するのかを組み替えることである

 

司法書士による登記、銀行員による融資実行、仲介業者による重要事項説明、それぞれの業界が固有の制度に守られ、その制度が他の業界の制度と噛み合うように長年微調整されてきた。部分的に変えようとすると、全体が動かなくなる構造になっている。

 

第四の理由は、取引の「重さ」が信頼の代替物として機能してきたことである。重要事項説明を対面で読み上げ、印鑑を押し、立会いの下で決済する。この儀式は煩雑だが、同時に「これだけの手続きを経ているのだから間違いはない」という安心感を消費者に与えてきた。アメリカではエスクローと権原保険が制度的に信頼を担保するが、日本ではプロたちの対面と紙の書類が信頼を担保する。テクノロジーで簡素化することは、この信頼装置を作り替えることでもある。慎重にならざるを得ない。

 

テクノロジーは何を一番変えられるのか

ではここからが本題である。テクノロジーは、この重さの何を一番変えられるのか

 

トロント大学のアグラワルらは、AI など新しい技術の浸透を三段階で説明している。第一段階は既存の業務に新ツールを足す段階。第二段階はある業務を作り替える段階。第三段階は産業の仕組み全体を作り直す段階である。電気の歴史で言えば、最初は工場の蒸気機関を電動機に置き換えただけだったが、やがて工場のレイアウトそのものが電動機前提に作り替えられ、最終的にはベルトコンベア型の流れ作業という新しい生産様式が生まれた。発電技術の確立から最後の段階までに約40年。新しい技術は瞬時に世界を変えない。

 

不動産業界に当てはめてみよう

第一段階はすでに広く実装されている。SUUMO、LIFULL HOME’S、At Home の物件検索。電子契約サービス。AI 査定ツール。VR 内見。これらは既存の業務に新しいツールを足したものだ。物件を探す消費者は明らかに楽になった。情報を取りに行くコストは10年前と比べて格段に下がった。

 

第二段階は、いま起こりつつある。たとえば一部の事業者が始めている「買取再販」のオンライン化。アメリカで Opendoor が先行した iBuying のモデルを、日本でも形を変えて試みる動きがある。AI で査定し、即座に買い取り、リフォームして再販する。これは仲介という業務全体を、AIと自社資本で置き換える試みだ。ただし Zillow が2021年に iBuying から撤退したことが示すように、AI の査定がいかに精度を上げても、「リフォームすべきか」「立地の将来性をどう評価するか」といった人間の判断は完全には代替できない。ブチャクら(2024)の構造推定によれば、技術がどれほど進化しても、住宅の仲介を完全自動化できるのは取引全体20%程度が上限だという。

 

第三段階こそが、本当の意味で「重さ」を変える段階である。これは個別の業務改善ではなく、取引のシステム全体の作り直しを意味する。検索、査定、内見、契約、ローン審査、決済、登記、引渡し、入居後のメンテナンスまでを、一気通貫でつなぐ。消費者の側から見れば、「住み替え AI エージェント」のようなものに、ライフプランと希望条件を伝えれば、最適な物件候補が示され、住宅ローンの事前審査が走り、内見スケジュールが調整され、契約書のドラフトが用意され、決済日に必要な書類が揃う、そんな世界である。

 

これは夢物語ではない。アグラワルらの言う「予測コストの低下」が業界全体に浸透すれば、原理的には可能だ。物件価値の予測(AVM)、信用リスクの予測(AI アンダーライティング)、将来価格の予測、修繕必要時期の予測。予測がほぼ無料になった時、人間が担うべきは「判断」の部分だけになる。この家を買うか、いくらまで出すか、いつ売るか。
判断は人間が下すが、判断に必要な情報の準備はすべて機械がやる。

 

iBuyer はなぜ難しいのか

iBuyer(Instant Buyer)は、AI 査定で家を即座に買い取り、リフォームして再販するビジネスモデルである。
Opendoor、Offerpad、Zillow Offersが先行した。

 

Zillow Offers は2021年に撤退した。ブチャク・マトヴォス・ピスコルスキ・セル(2024, NBER WP 28252)は構造推定モデルを使って、「完璧な技術を仮定しても、住宅の仲介を完全自動化できるのは取引全体の20%程度が上限」という結果を導いた。

 

理由は、住宅取引には「予測」と「判断」の両方が必要だからだ。価格の予測はAI が得意だが、リフォームの要否、近隣価値の将来評価、個別物件の特殊事情の判断は、AIだけでは難しい。iBuyer の限界は、技術の限界ではなく、住宅という財の本質に由来する限界である。

 

それでも iBuyer の実験は無駄ではなかった。彼らが残したデータと教訓は、次世代の PropTech の基礎になる。失敗から学ぶ産業ほど、長期的には強くなる。

 

テクノロジーが変えられないもの

ただし、ここで重要な留保が必要である。テクノロジーが変えられるのは取引の摩擦であって、取引の本質ではない。

 

たとえば住宅ローン制度そのものは、テクノロジーでは変わらない。35年元利均等返済、団体信用生命保険、住宅ローン控除13年、これらは法律と税制の問題であり、AI が進歩しても変わらない。アメリカでオンライン住宅ローンが普及したのは技術のおかげだけではなく、リファイナンス(借り換え)が日常化する文化と、それを支える制度があったからだ。日本で「住み替え中立」のローン制度が整備されない限り、技術が進歩しても、住み替えの心理的・経済的ハードルは下がらない。

 

司法書士による登記も、テクノロジーで完全には自動化できない。所有権の連続性を確認し、瑕疵がないことを保証する作業は、最終的には人間の専門家の判断に依存する。アメリカでは権原保険会社が引き受けているリスクを、日本では司法書士の専門的判断が引き受けている。この役割は形を変えることはあっても、消えることはない。

 

人口動態と空き家問題は、もっと根が深い。日本には2023年時点で約900万戸の空き家がある。住宅総数の14%である。この多くは地方や郊外にあり、買い手が見つからない。AI で査定しようと、VR で内見しようと、買い手がいなければ取引は成立しない。需要そのものが希薄な場所では、テクノロジーは無力だ。サイス教授が繰り返し言うように、変化は「人口動態×テクノロジー×規制」の交差点でしか起きない。

 

そして最後に、資産観という最も深い層がある。家は「住むもの」であって「売り買いするもの」ではない、という日本人の感覚は、技術では変わらない。中古住宅市場が日本では全取引の15%、英米では70~80%という差は、技術の差ではなく、文化と制度の差である。「リフォーム履歴のデジタル化」は技術的には可能だが、それを「価値ある情報」として市場が評価する文化が育つには、何世代もかかる。

 

結局、何が変わるのか:三つの時間軸

ここまでの議論を整理すると、テクノロジーが日本の不動産売買にもたらす変化は、次のように見立てられる。

 

短期(~5年)で確実に変わるのは、情報摩擦と手続きの煩雑さである。
電子契約、AI 査定、VR 内見、オンライン重要事項説明。これらはすでに普及が始まっており、5年以内に「当たり前」になるだろう。冒頭に挙げた「家を買う重さ」のうち、書類を集めて回る部分、相場を調べる部分、内見の予約調整の部分は、確実に軽くなる。

 

中期(5~15年)で変わるのは、業務の組み合わせ方である。
検索から決済までを一気通貫で支援するサービス、住宅ローンと物件選びが連動するサービス、売却と購入を同時並行で進めるサービスが普及する。これは「住み替えエージェント」型のシステム・ソリューションの登場である。米国で iBuying が試行錯誤しながらも成長してきた経験を、日本市場の特性に合わせてカスタマイズした形で実装される可能性が高い。PropTech-Lab の実装活動の中心は、まさにこの中期の変革である。

 

長期(15年以上)で変わるのは、産業構造そのものである。
仲介業者の役割は「情報の仲介」から「判断のアドバイザー」へとシフトする。データプラットフォーマーが市場の中心に立ち、伝統的な仲介業者は両極化する、ハイエンドのコンシェルジュ型と、コモディティ化した手続き代行型に。サイス教授が予見した通り、データの寡占化が進む。

 

そして変わらないのは、住宅金融制度、規制の枠組み、人口動態、そして資産観である
これらは技術ではなく、政策と社会の選択によって変わる。テクノロジーは可能性を開くが、選択は私たちがする。

 

結びに——重さは誰のためにあるか

冒頭の問いに戻ろう。なぜ日本の不動産売買はこれほど重く、面倒なのか。

 

その答えは、重さが過去の合理性として制度に埋め込まれてきたからである。情報が縦割りで、関係者が多く、信頼が対面と紙で担保され、業界の収益が複雑さに依存してきた。これらは戦後日本の住宅市場が育つ過程で、それなりの理由があって積み重なってきた仕組みである。

 

しかし、世界は変わった。情報はデジタルで集約でき、信頼はアルゴリズムと保険でも担保でき、消費者は世界中の市場を比較するようになった。日本の不動産売買の重さは、もはや「合理的な摩擦」ではなく、「過去の合理性の残滓」になりつつある

 

テクノロジーが変えられるのは、この残滓のかなりの部分だ。書類の山、対面の儀式、情報の縦割り、価格の不透明さ、これらは技術で確実に軽くなる。しかし、住宅金融、人口動態、資産観といった深層は、技術だけでは変わらない。

 

最も大切なのは、重さを誰のために残すかを社会が選ぶことである。重さは、専門家の権威を守るためにあるのか、消費者を守るためにあるのか、それとも単に変える誰もが現れなかったから残っているだけなのか。テクノロジーはこの問いを私たちに突きつける。重さの正当性を一つひとつ点検し、要らない重さを軽くし、必要な重さは残す。そういう選別の作業を、社会全体ですることが、これからの10年の課題である。

 

家を買うという行為が、もう少し軽やかであっていい。それは「軽薄になる」ということではなく、「ライフステージに応じて自然に選び直せる」ということだ。日本人にとって住まいが本当の意味で「人生の選択肢」になるためには、技術と制度と文化の三つが歩調を合わせる必要がある。テクノロジーはその先頭を走るが、走り抜けることはできない。後から制度が、文化が、ついていく。その歩みは遅いが、確実である。

 

PropTech は住宅市場を変える。しかし、PropTech だけでは住宅市場は変わらない。このことを忘れずに、私たちは技術と制度の両方を動かしていく。

 

 

濱中 雄大(株式会社property technologies 代表取締役社長/PropTech-Lab 主宰)
清水 千弘(一橋大学ソーシャル・データサイエンス研究科 教授/PropTech-Lab所長)

 

【参考・引用文献】

  • Badarinza, C., Ramadorai, T., & Shimizu, C. (2021). Gravity, counterparties, and foreign investment. JFE.

  • Akerlof, G. A. (1970). The market for “lemons”: Quality uncertainty and the market mechanism. QJE, 84(3), 488–500.

  • Buchak, G., Matvos, G., Piskorski, T., & Seru, A. (2024). Why is intermediating houses so difficult? NBER WP No. 28252.

清水 千弘

PropTech-Lab所長

一橋大学大学院ソーシャルデータサイエンス研究科教授、社会科学高等研究院都市空間不動産解析研究センター・センター長。1994年 東京工業大学大学院理工学研究科博士課程中退。東京大学博士(環境学)。財団法人日本不動産研究所研究員、リクルート住宅総合研究所主任研究員、麗澤大学教授、日本大学教授、東京大学特任教授等を歴任。
2022年1月より、当社グループ参画。社外取締役を経て、2024年7月より、当社研究・開発組織『PropTech-Lab』所長に就任。

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