住まいを変えるとは、人生を変えることではない。人生を変えるときに、住まいがそれに追いついてこられるかどうかの問題である。住宅流動性の低さは、住宅市場の問題ではない。社会が人生の変化をどれだけ許容するかの問題である。
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前回(第4回)を受けて:流動性は「人生の自由度」の指標である
第2回では、AI と社会の関係を一般論として論じ、タスク代替の経済学と人間と機械の分業を提示した。第3回では、その枠組みを住宅市場に適用し、日本の住宅市場が動かないのは制度の総体としての結果である、という構造的診断を行った。第4回では、取引の重さが過去の合理性の残滓として制度に埋め込まれている、という制度史的診断を加えた。
本連載(第5回)ではこれらの分析を踏まえて、視点を一段変える。住宅市場の流動性は、住宅市場の中だけでなく、その外に位置する人生の自由度の指標として読み直されるべきである。仕事を変える自由、家族の形を変える自由、老後を選び直す自由、これらすべてが、住宅市場の流動性によって支えられているか、あるいは制約されている。住宅流動性は、社会が人生の変化をどれだけ許容するかの指標である。これが本連載の中心命題である。
家を着替える、という発想
服を着替えるように、家を着替える。日本人の多くにとって、この発想は奇妙に聞こえるかもしれない。家は何度も買い替えるものではなく、一度建てたら、あるいは一度買ったら、そこに長く住むもの、そういう感覚が私たちの中に深く根を下ろしている。
ところがアメリカやヨーロッパの一部では、家は本当に「着替える」ものなのだ。新婚時代は街中の小さなコンドミニアム、子どもが生まれたら郊外の戸建て、子どもが独立したら都市部のタウンハウス、引退後は気候の温暖な土地のゴルフコースの近く。人生のステージごとに、住まいの形を選び直していく。
これは単なる消費行動の差ではない。人生がどのように設計されているか、人生の変化を社会がどう支えているかの差である。本連載では、住宅流動性が低いことが、人々の人生にどのような制約をもたらしているのか、そして住み替えのハードルが下がることで人生の何が変わるのかを考えていきたい
ある女性の人生:三つのシナリオ
ひとつの思考実験から始めよう。35歳の独身女性を想像してほしい。都心の企業に勤め、年収は800万円、貯蓄は1500万円ほど。両親は地方に住み、健在。彼女は今、東京の賃貸マンションに住んでいる。
シナリオA(現実の日本):彼女は迷っている。賃貸を続けるか、思い切って都心のマンションを買うか。買うなら35年ローン。途中で結婚したら?転勤になったら?親の介護が必要になったら?売る時に値下がりしていたら?考えるべきリスクが多すぎて、決断できない。結局、賃貸を続けることにする。50歳になっても、60歳になっても、まだ「いつかは家を買おう」と思いながら、賃貸暮らしが続く。
シナリオB(住み替えが軽い世界):彼女は今の年齢にあった都心の1LDKを買う。気に入らなくなったり、人生が変わったりしたら、半年くらいで売却して住み替えられる。住宅ローンも住み替えに対応した商品で、借り換えも自由。 AI が彼女のライフプランと予算と希望条件を統合し、最適な物件候補を提示する。実際、彼女は3年後に結婚し、夫と一緒に2LDKに買い替える。子どもが生まれたら郊外の戸建てに移り、子どもが独立したら、また都心に戻る。
住まいは人生の伴走者であって、人生を縛るものではない。
シナリオC(家を「持たない」選択):彼女は家を所有することそのものをやめる。サブスクリプション型の高品質賃貸を利用し、ライフスタイルに応じて全国・世界中の住まいを月単位で渡り歩く。資産は株式や投資信託で運用し、住まいは消費財として割り切る。所有のリスクを負わず、流動性の高い資産で老後に備える。
どれが正解、ということはない。重要なのは、現代の日本ではシナリオAしか現実的な選択肢として開かれていないということだ。シナリオBは制度と技術の制約で困難、シナリオCはまだ社会的インフラが追いついていない。
彼女の人生の選択肢は、住宅市場の構造によって、知らないうちに狭められている。
仕事を変える自由は、住まいを変える自由でもある
住み替えが軽くなることで一番大きく変わるのは、たぶん仕事の選び方だろう。
地方の魅力的なベンチャー企業から声がかかったとする。年収は今と同等、仕事内容は面白い、社風も合いそうだ。ただし勤務地は北海道。さて、転職するか。日本の現状では、ここで多くの人が立ち止まる。家族がいれば子どもの転校、配偶者の仕事、住宅ローン残高、地元のコミュニティとの関係。独身でも、東京で買ったマンションをどうするか、引越し費用、新天地での住居選びの不安。「面白そうだけど、現実的には難しいな」と転職を諦める人が、毎年どれだけいるだろうか。
経済学者のあいだでは、住宅市場の流動性の低さが労働市場の流動性も縛ることが、近年とくに重視されている。 Ferreira, Gyourko & Tracy(2010, 2012)※は、住宅価格が下落した地域では、住民が家を売れなくなり、好条件の仕事があっても他州に移れなくなる現象を実証した。Bernstein & Struyven(2022)※はオランダのデータで同様のロックイン効果を確認している。住宅市場と労働市場、住宅市場と家族形成は、深く絡み合っている。
住宅ロックインが社会にもたらす損失
- 労働市場のミスマッチ:地理的移動の制約により、人と仕事のマッチングが最適化されない。Ferreira et al. (2010) ※は、住宅価格下落地域での移動率低下が労働市場効率を阻害することを示唆。
- 都市集中の固定化:地方への人材還流が起きないため、東京一極集中が温存される。
- 機会費用の蓄積:個々人にとっての「諦めた選択肢」が、社会全体の生産性損失として蓄積される。
- 家族形成への影響:結婚、出産、介護といったライフイベントが、住まいの制約で先送り・諦めにつながる。
住宅流動性は、住宅市場の指標ではない。社会全体の機会の指標である。
逆に言えば、住み替えが軽くなれば、仕事を変える自由が広がる。地方の企業に転職するハードルが下がり、東京一極集中が緩和されるかもしれない。リモートワークの普及はこの方向にすでに少し効いているが、住居を物理的に動かす自由が広がれば、効果はさらに大きくなる。
結婚と離婚、子育てと介護
人生の節目で住まいの形は変わる。本来であれば。
結婚すれば、二人で住むのに適した家が必要になる。子どもが生まれれば、もう一部屋ほしくなる。子どもが成長すれば、学区の良い場所に住みたくなる。子どもが独立すれば、小さな家で十分になる。親の介護が必要になれば、親の近くに住みたくなる。配偶者を亡くせば、一人で管理しやすい家に移りたくなる。
ところが日本では、これらの節目で住まいを変える人は少ない。結婚しても夫の独身時代の家にそのまま住む。子どもが生まれても部屋を狭く使う。子どもが独立しても3LDKの戸建てに夫婦二人で残る。親の介護が必要になれば、自分が遠距離通勤するか、仕事を辞める。住まいを動かす選択肢が現実的でないから、人生の他の部分を住まいに合わせて調整することになる。
これは個人の問題に留まらない。社会的にも大きな損失だ。たとえばミスマッチ住宅の問題がある。子どもが独立した後の高齢夫婦が広い戸建てに住み続け、若い子育て世代が狭いマンションで過ごす。住宅ストックの活用が世代を超えて最適化されない。日本に2023年時点で約900万戸ある空き家の多くは、相続したけれど住まない、貸せない、売れないという形で、世代間の住み替えが詰まった結果でもある。
離婚もまた、住まいの問題と切っても切り離せない。日本では離婚の際、住宅ローン残高がある家の処理が大きな障壁になる。共有名義のローン、団体信用生命保険、財産分与。離婚を決めても、家の処理が複雑で時間がかかり、心理的にも経済的にも消耗する。住み替えが軽い社会では、離婚後の生活再建もずっとスムーズになる。これは決して離婚を推奨する話ではなく、人生の困難な選択を、住まいが二重に困難にしない社会のあり方の話である。
老後と「住みかえる勇気」
高齢期になって直面する選択は特に重い。長年住んだ家には思い出が詰まっている。庭の木は四十年前に植えたものだ。近所には顔なじみがいる。引越しは体力的にも精神的にもきつい。
でも、二階建ての戸建ては高齢者には危険が多い。階段、浴室、寒暖差。庭の手入れも年々負担になる。同じ町内で暮らしたいけれど、駅近のマンションに住み替えれば、買い物も病院通いも楽になる。それでも多くの高齢者は動かない。動けない、と言ったほうが正確かもしれない。
イギリスでは「Right-sizing(適正規模化)」という概念がある。子育てを終えた高齢者が、より小さく、より管理しやすい住居に積極的に住み替えることを指す。社会全体としてもこれを推奨する政策が組まれている。理由はシンプルで、高齢者が快適に暮らせる住居に移ることで、若い世代が広い住居を活用できるようになるからだ。住宅ストックの世代間の循環が、社会全体の幸福度を上げる。
Right-sizing と世代間の住宅ストック循環
英国の Right-sizing 政策は、高齢者の住み替えを支援する金融商品、住宅情報サービス、税制優遇、コミュニティ支援などを総合的に組み合わせている。Banks, Blundell, Oldfield & Smith(2012, Economica)※は、 英米の高齢者の住宅移動率を比較し、住宅市場の流動性が高齢期の生活の質に直接影響することを示した。
日本でも同様の政策的アプローチは可能なはずだが、中古住宅市場の薄さ、相続税制、空き家対策の縦割りが障害となっている。高齢者が住み替えやすい社会は、若い世代が広い家に移れる社会でもある。住宅ストックは限られた資源であり、誰がどの時期にどの住宅を使うかという世代間の資源配分の問題として捉え直す必要がある。
日本でも同じことが理論的には可能なはずだ。問題は、住み替えのコストとリスクが高すぎて、高齢者が動く決断を下せないことにある。仲介手数料、引越し費用、新居の取得費用、税金、心理的負担。これらを総合した「住み替えコスト」が、住み替えで得られる「快適さ」を上回ってしまう。
テクノロジーと制度が住み替えコストを下げれば、この方程式が変わる。AI 査定で売却価格の見通しが早く立つ、オンラインで内見と契約が完結する、行政手続きがデジタル化される、引越し業者がワンストップでサービスを提供する。一つひとつは小さな改善でも、全体として住み替えを「人生の重大事件」から「ライフスタイルの選択」に変える力を持つ。
「家を持つこと」の意味が変わる
ここまで住み替えが軽くなった世界の話をしてきたが、もう一歩踏み込んで考えると、別の問いが浮かび上がる。 そもそも家を所有する必要はあるのか、という問いである。
日本では戦後、「持ち家こそが人生の成功の象徴」という価値観が定着してきた。住宅ローンを完済した時、人は一人前になる。家を持つことは、社会人としての証であり、家族への責任の表れであり、老後の安心の基盤である、そう信じられてきた。この価値観は、戦後復興期の住宅不足、土地神話に基づく値上がり期待、税制優遇による持ち家奨励政策、終身雇用と長期住宅ローンの相互補完関係の中で育ったものだ。
でも、その前提が崩れ始めている。終身雇用は揺らぎ、土地神話は1990年代に終わり、人口は減少局面に入った。
家を持つことが必ずしも経済的に得ではなくなり、リスクも見えてきた。30代でローンを組んだ家が、50代で値下がりして売却損を抱える。建物の老朽化に伴う修繕費が想定を超える。マンションの管理組合のトラブルに巻き込まれる。地震や水害でダメージを受ける。空き家になった実家の処分に苦労する親世代の姿を見て、若い世代が「家を持つこと」への憧れを失い始めている。
その結果、若年層を中心に「賃貸派」が増えている。家を持たないことで、ライフスタイルの自由を保ち、資金は他の形で運用する。リモートワークの普及と相まって、都市と地方を行き来する暮らし方、海外と日本を行き来する暮らし方を選ぶ人も出てきた。住まいは「所有する資産」ではなく、「利用するサービス」になりつつある。
経済学的に見ると、住宅は二つの顔を持つ財である。一つは消費財としての顔、つまりそこに住むことで得られる効用。もう一つは投資財としての顔、すなわち資産価値の保全と上昇への期待。日本では戦後長らく、この二つが幸福にも一致していた。住むことが、すなわち資産形成だった。しかし今は、この二つが分離しつつある。住むことの効用と、資産としての価値は、別々に最適化されるべきものになりつつある。
そう考えると、「家を持つ、持たない」は二者択一ではなく、もっと柔軟なグラデーションで考えるべきものになる。 完全所有、共同所有、長期借家、サブスクリプション型賃貸、シェアハウス、職住一体型、これらの選択肢が、ライフステージに応じて使い分けられる。住まいの形が多様化することで、人生の形も多様化する。
住宅の二面性:消費財と投資財
住宅は、消費財(住むことの効用)と投資財(資産価値)の二面性を持つ独特の財である。Sinai & Souleles(2005, QJE)※は、持ち家が「家賃変動リスクのヘッジ」として機能することを示した。Cocco(2005, RFS)※は、住宅を組み込んだライフサイクル消費・投資選択を理論化し、若年期の住宅取得が他の資産形成を制約する可能性を示した。Yao & Zhang(2005, RFS)※は、リスクある住宅と借入制約の下での最適消費・投資選択を分析。
これらの研究が示すのは、住宅は単なる財ではなく、ライフサイクル全体に影響する金融的意思決定だということ。 日本のように住宅取得が「人生の重大事件」化している社会では、他の資産形成、リスクテイク、職業選択のすべてが住宅選択に従属させられている可能性がある。
「家は一生もの」の常識は続くのか
さて、本連載のもう一つの問いに答えよう。「家は一生もの」という常識は、これからも続くのか。
結論から言えば、段階的に崩れていくだろう。ただし、その崩れ方は世代によって、地域によって、所得層によって異なる。
団塊世代以上の世代にとっては、「家は一生もの」の常識はおそらく最後まで残る。彼らが青年期を過ごした時代の記憶、土地神話、持ち家信仰が、人生観の核に深く埋め込まれている。これは尊重されるべきものだ。
団塊ジュニア世代から下の世代では、すでに価値観の揺らぎが始まっている。バブル崩壊を10代から20代で経験し、土地神話への懐疑を持ちながら大人になった世代だ。彼らは持ち家を「人生の必須要件」とは考えていないが、それでも親世代の影響と、賃貸の不安定さへの懸念から、結局は持ち家に向かうことが多い。
ミレニアル世代以下、特に Z 世代からアルファ世代になると、「家は一生もの」という常識はさらに揺らぐ。彼らはリモートワークが当たり前で、サブスクリプションサービスに馴染み、所有よりも経験を重視する世代だ。彼らにとって、住まいは「ライフスタイルの選択」の一部であり、固定された人生の基盤ではない。
地域差も大きい。都市部、特に東京・大阪・名古屋といった大都市圏では、流動性の高い住宅市場が部分的にせよ機能している。住み替えという選択肢が現実的だ。一方、地方では中古住宅市場が薄く、売りたくても売れない、買いたくても物件がない、という構造が続く。「家は一生もの」の常識は、地方でこそ最後まで残るだろう。皮肉なことに、空き家問題が深刻なのも地方なのだ。
所得層の差も無視できない。高所得層は住み替えコストを吸収できるから、ライフステージに応じた住み替えがすでに現実的な選択肢になっている。中間層は住み替えコストが重くのしかかり、結果として「家は一生もの」を選ばざるを得ない。低所得層は持ち家自体が選択肢になりにくく、賃貸前提の人生を歩む。住宅市場の構造変化は、すでに進んでいる居住の階層化を、さらに先鋭化させる可能性がある。
それでも「住み続けたい」という選択
ここまで住み替えの自由化について語ってきたが、誤解されないように一つ重要なことを書いておきたい。住み替えの自由が広がることと、すべての人が住み替えるべきだということは、まったく違う。
家に深く根を下ろし、その地域に長く住み続けることには、計り知れない価値がある。庭の木を見守り、隣人と顔なじみになり、町内会や地域の活動に参加し、世代を超えて関係を築いていく。これは流動性の高い社会では失われがちな、貴重な人生の豊かさだ。
私たちが目指すべきなのは、「住み替えがしやすい社会」ではなく、「住み続けることも、住み替えることも、自由に選べる社会」である。今の日本社会の問題は、住み替えという選択肢が事実上閉ざされているために、住み続けることが「選択」ではなく「諦め」や「強制」になっている人が多いことだ。本当に住み続けたい人と、本当は住み替えたいけれど動けない人が、外から見ると区別がつかない。
選択肢が開かれた社会では、住み続ける人は本当に住み続けたい人になる。そして住み替える人は、本当に住み替えたい人になる。どちらも能動的な選択として、人生を豊かにする。
シンガポールHDBに見るもう一つの社会契約
住み替えの自由を考えるとき、筆者が NUS(シンガポール国立大学)で長年観察してきたシンガポールの事例は、日本社会に重要な示唆を与える。シンガポールでは住宅開発庁(HDB)が国民の約8割に公的住宅を供給し、住まいは個人の財産であると同時に、国家と国民の社会契約の現れでもある。
注目すべきは、HDB が単に住宅を供給するだけでなく、ライフステージに応じた住み替えを政策的に組み込んでいる点である。新婚夫婦への優先供給、子育て世代への補助、高齢者向けの小型住宅へのダウンサイジング支援。住宅は「個人の選択」であると同時に、「社会全体の最適化」の対象でもある。ここに、住宅市場の流動性が福祉政策・家族政策・人口政策と不可分であることが端的に表れている。
シンガポール方式が日本にそのまま移植可能だとは思わない。しかし、住宅を国家と国民の社会契約として捉え直す視点は、日本の住宅政策に欠けてきた発想である。住宅は私的財でありながら、同時に公共財でもある。この二面性を真剣に受け止めなければ、住宅市場の流動性問題は解けない。
結びに——人生に伴走する住まい
冒頭の独身女性のシナリオに戻ろう。彼女がシナリオ A しか選べない社会と、シナリオ B や C も選べる社会の違いは、住宅取引の効率の問題ではなく、人生の自由度の問題である。住まいが固定されると、人生の他の部分も固定される。仕事、家族、コミュニティ、夢。すべてが住まいの位置に縛られる。
逆に、住まいが人生に伴走するものになれば、人生のほうが主役になれる。仕事を変えたければ変える、家族の形が変わったら住まいも変える、年齢や健康状態に応じて住み替える。住まいは人生に仕える道具であって、人生を縛る鎖ではない。
「家は一生もの」という常識は、段階的に崩れていく。それは寂しいことではなく、希望のあることだ。一生の重荷から、人生の選択肢へ。固定された資産から、伴走する道具へ。住まいの意味の変化は、私たちの人生の意味の変化でもある。
その変化のスピードを決めるのは、テクノロジーよりも、私たち自身の選択である。社会が「家は一生もの」という常識を手放す覚悟があるか。制度を作り直す政治的意志があるか。中古住宅を価値ある資産として評価する文化を育てる忍耐があるか。これらの選択が、次の世代の人生の自由度を決める。
家を着替えるように選ぶ。そんな日が来るかどうかは、私たちが決める。少なくとも、選択肢が開かれた未来のほうが、選択肢が閉ざされた現在よりも、人生はきっと豊かになる。それだけは確かだと思う。
【参考・引用文献】
-
Ferreira, F., Gyourko, J., & Tracy, J. (2010, 2012). Housing busts and household mobility. JUE / NY Fed Economic Policy Review.
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Bernstein, A., & Struyven, D. (2022). Housing lock: Dutch evidence on the impact of negative home equity on household mobility. AEJ: Economic Policy.
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Banks, J., Blundell, R., Oldfield, Z., & Smith, J. P. (2012). Housing mobility and downsizing at older ages in Britain and the USA. Economica, 79(313), 1–26.
-
Sinai, T., & Souleles, N. S. (2005). Owner-occupied housing as a hedge against rent risk. QJE, 120(2), 763–789.
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Cocco, J. F. (2005). Portfolio choice in the presence of housing. RFS, 18(2), 535–567.
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Yao, R., & Zhang, H. H. (2005). Optimal consumption and portfolio choices with risky housing and borrowing constraints. RFS, 18(1), 197–239.
清水 千弘
PropTech-Lab所長
一橋大学大学院ソーシャルデータサイエンス研究科教授、社会科学高等研究院都市空間不動産解析研究センター・センター長。1994年 東京工業大学大学院理工学研究科博士課程中退。東京大学博士(環境学)。財団法人日本不動産研究所研究員、リクルート住宅総合研究所主任研究員、麗澤大学教授、日本大学教授、東京大学特任教授等を歴任。
2022年1月より、当社グループ参画。社外取締役を経て、2024年7月より、当社研究・開発組織『PropTech-Lab』所長に就任。