住宅市場の流動性とは、家が売れやすいかどうかの問題ではない。
それは、人生が変わったときに、住まいがそれに追いついてこられるかどうかの問題である。日米の住み替え頻度の差は、財の差ではない。制度思想の差である。
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ある夫婦の話から
40代の共働き夫婦が、子どもの小学校入学に合わせて郊外の建売住宅を購入したとしよう。35年ローンを組み、頭金を入れ、引越しを済ませる。それから10年、子どもは成長し、夫婦の働き方も変わった。在宅勤務が増え、片道1時間半の通勤が重荷になってきた。都心のマンションに住み替えたい、そう思った時、彼らの前に立ちはだかる壁は、想像以上に高い。
売却すれば住宅ローン控除はそこで終わる。買い替え先で新たに団体信用生命保険に入り直すと、保険料は10歳分上がる。建物の価値は税務上ほぼゼロと評価され、土地価格に依存する売却額ではローン残債を返しきれないかもしれない。仲介手数料、登記費用、引越し費用、不動産取得税。あれこれ計算するうち、夫婦は結論する。「この家で定年まで頑張ろう」と。
これは特殊な話ではない。多くの日本の家庭が、人生のどこかで似たような計算をする。そして似たような結論に至る。住み替えという選択肢が、合理的な計算の結果として消える。
住み替えを選ばないのではなく、選べないのである。
本連載では、なぜこの「選べなさ」が生まれているのかを、四つの層に分けて解剖していく。金融、技術、人口動態、資産観。それぞれが独立した壁ではなく、互いに絡まり合いながら、消費者を一つの家に縛りつけている。
ここで一つ、本連載全体を貫く視点を明示しておきたい。問題は、住宅が高価であることではない。高価な意思決定であるにもかかわらず、選び直す制度が十分に整っていないことである。日本の住宅市場の重さは、慎重な国民性の結果ではない。過去の合理性が制度として残り続けた結果である。中古住宅市場の薄さは、消費者の好みだけでは説明できない。建物価値を測る制度、履歴を記録する仕組み、金融機関が評価する基準が、十分に連動してこなかったからである。これら三つの命題に、本章のすべての分析が支えられている。
住宅は本当に「動かせない資産」なのか
経済学では、ある資産がどれだけ自由に売買できるかを「流動性」と呼ぶ。株や債券は秒単位で売買できるから流動性が高い。住宅は売却に数ヶ月かかるから流動性が低い。これはある程度仕方のないことだ。住宅は世界に二つと同じものがなく、買い手を探すのに時間がかかる。
しかし、住宅市場が「ある程度低い流動性を持つ」ことと、「日本の住宅市場が世界でも特異に低い流動性を持つ」ことの間には、決定的な差がある。前者は財の本質に由来するが、後者は制度設計の結果である。
日米英の住宅市場流動性
年間中古住宅取引件数:米国では通常期に数百万件規模の中古住宅取引が行われてきた。近年は金利上昇の影響で取引が低迷しているが、それでも日本とは比較にならない厚みを持つ。日本の中古住宅流通件数は概ね20万件前後で推移しており、 ストック規模に対する取引比率(回転率)の差は極めて大きい。
中古住宅の取引比率(既存住宅流通シェア):国土交通省の集計では、日本の既存住宅流通シェアは平成25年(2013年)時点で約14.7%にとどまる。同省は欧米諸国との比較において、英国・米国はいずれも70~90%水準にあると説明している。日本市場の「新築信仰」がストック流通の薄さに直結している。
住宅・土地統計調査(2023年):日本の住宅総数は6,504.7万戸、 空き家は900.2万戸、空き家率は13.8%。 空き家のうち相当部分が「動かせない資産」として固定化されている。
生涯移動回数:米国センサス局の推計では、米国人は生涯に十数回の移動を経験するとされる。日本人の生涯引越回数は4~5回程度とされ、購入回数も米国の3回以上に対して概ね1回である。
これらの数字が示すのは、単に「日本は少ない」という事実ではない。日本の住宅市場が、世代を超えて人々を一つの家に固定化する制度として機能しているという事実である。
冒頭の夫婦が「動けない」と感じた理由は、大きく四つの層に分けて考えることができる。金融、技術、人口、そして資産観である。それぞれを順に見ていこう。
第一の壁——住宅ローンが住み替えを罰する仕組み
日本の住宅ローンは、35年元利均等返済、団体信用生命保険加入、住宅ローン控除13年といった制度設計が、 実質的に「最初に買った家にずっと住み続ける」ことを最も得な選択にしている。途中で住み替えると、控除は失われ、保険は年齢ペナルティで割高になり、繰上返済の効果も薄まる。要するに、住み替えると損をするように設計されているのである。
これは制度設計者が意図的に住み替えを罰しているわけではない。それぞれの制度、住宅ローン控除、団信、長期固定金利は、持ち家取得を促進するために、それぞれの時代の合理性に基づいて作られたものだ。しかし、それらが組み合わさることで、住み替えを罰する総体としての制度が成立してしまっている。個別最適の積み重ねが、全体としての非合理を生むという、政策設計に典型的な現象である。
アメリカでは事情がだいぶ違う。Quicken Loans(現 Rocket Mortgage)に代表されるオンライン住宅ローン専業会社が2010年代に急成長し、2015年には「シャドーバンク」と呼ばれる非伝統的貸し手が住宅ローン市場の半分を占めるまでになった。ボタン一つで申請でき、審査も従来銀行より約20%速い(Fuster et al. 2019)。リファイナンス、つまりローンの組み換えが日常的に行われる文化がある。金利が下がればローンを借り換え、家を買い替える時には新しいローンに乗り換える。住み替えに伴う金融的な摩擦が、技術と競争で大きく削られている。
シカゴ大学のブチャク(Buchak)らは、米国シャドーバンクの拡大要因を分解し、規制要因が約60%、技術要因が約30%を説明すると推計した。これは、日本の住宅金融の硬直性を考えるうえで決定的に重要な含意を持つ。技術がいくら進歩しても、規制と税制が変わらなければ、市場は動かない。住み替えが軽い社会は、テクノロジーで作られたのではなく、テクノロジーが普及できる制度の上に作られたのである。
ロックイン効果とは何か
住宅ローンや住宅価格の変動が原因で、住民が家を売れなくなり、転職や進学など人生上の機会があっても他地域に移れなくなる現象を、住宅経済学では「ロックイン効果(housing lock-in)」と呼ぶ。
代表的な実証研究としては、Ferreira, Gyourko & Tracy(2010, 2012)※が米国の負のエクイティ(住宅価格の下落でローン残高が物件価値を上回ること)と家計移動の関係を分析し、住宅市場の不調が労働市場の流動性を抑制することを示した。Bernstein & Struyven(2022)※はオランダのデータでも同様の効果を確認している。
日本では実証研究はまだ限られているが、長期固定金利・住宅ローン控除・団信の組み合わせが、事実上のロックインを生んでいる可能性が指摘されている。住宅市場と労働市場、住宅市場と家族形成は、深く絡み合っている。
四つの住宅制度、米・英・シンガポール・日本
住宅市場の流動性を理解するには、各国の制度思想を比較するのが有益である。
米国は、人生が変わることを前提に住宅市場を設計してきた。リファイナンスを日常化する金融制度、エスクローと権原保険による信頼インフラ、MLS による情報集約、ホームインスペクション、住宅履歴のデジタル化。住み替えを支える制度群が、相互補完的に育ってきた。
英国は、freehold(永代所有権)とleasehold(定期借地権)の二層構造を持ち、高齢者の Right-sizing を政策的に支援してきた。「家を着替える」という発想を、社会保障と住宅政策の接続点として位置づけている。 Solicitor(事務弁護士)が取引の中核に立つ conveyancing 制度も特徴的だ。
シンガポールは、HDB(住宅開発庁)が国民の8割超に公的住宅を供給する、極端なまでに国家化された住宅市場を持つ。住まいは個人の財産であると同時に、国家と国民の社会契約の現れでもある。これは清水が NUS で長年観察してきた、もう一つの住宅市場のあり方である。
日本は、新築住宅取得を促進する税制と長期住宅ローン、建物価値を木造22年で減価させる耐用年数制度、中古住宅市場の薄さ、相続不動産の処分難、空き家対策の縦割り。人生が変わらないことを前提に組まれた制度群が、相互補完的に固着している。
四国比較が示すのは、住宅市場の流動性が「国民性」ではなく「制度思想」によって決まるということである。日本の住宅市場が動きにくいのは、日本人が動きたがらないからではない。動かないことを前提に制度が組まれているからである。
第二の壁——情報と取引の摩擦
「住み替えたい」と思っても、まず立ちはだかるのが情報の壁だ。今の家はいくらで売れるのか。買い替え先の相場はどうか。引渡しのタイミングをどう合わせるか。仲介手数料はいくらか。リフォームすれば査定は上がるのか。これらの問いに、消費者は十分な答えを持っていない。
近年、SUUMO、LIFULL HOME’S、At Home といったポータルサイトの普及で、物件検索のコストは劇的に下がった。不動産テック協会が公表する「カオスマップ」第11版(2025年)には、528ものサービスが掲載されている。AI査定、VR内見、電子契約、IoT入退室管理、不動産クラウドファンディング、日本の不動産業界もデジタル化の波の中にある。
しかし、世界的に見ると日本の住宅取引のデジタル化は、まだ「最初の一歩」の段階にある。トロント大学のアグラワルらは、AI など新技術の浸透を三段階で説明している。第一段階は既存の業務に新ツールを「足す」段階(ポイント・ソリューション)。第二段階はある業務全体を作り替える段階(アプリケーション・ソリューション)。そして第三段階は産業全体の仕組みを作り直す段階(システム・ソリューション)である。電気の普及にこれを当てはめると、発電技術が確立してから、工場のレイアウトを電動機前提に全面的に作り直すまで、約40年かかった。
アメリカでは Opendoor のような「iBuyer」と呼ばれる企業が現れ、AI で査定した価格で家を即座に買い取り、軽くリフォームして売る、という新しいビジネスが2010年代後半に登場した。これはまさに第二段階の例である。 Zillow も一時参入したが2021年に撤退している。 AI の査定がいかに精度を上げても、リフォームが必要かどうか、近隣の評価がどう動くかといった「人間の判断」が必要な部分は残る、ということが教訓として残った。
ブチャクら(2024)の構造推定モデルによれば、技術がどれほど進化しても、住宅の仲介を完全自動化できるのは取引全体の20%程度が上限だという。これは AI 楽観論への鋭い反証である。それでも、売却から買い替えまでを一気通貫でサポートする「住み替えエージェント」のようなシステム・ソリューションは、日本ではまだ本格的に出現していない。
サーチ摩擦と住宅市場
住宅市場は、株式市場のように瞬時に売買が成立する市場ではない。売り手と買い手が出会い、互いの条件を確認し、価格を交渉し、契約に至るまでに、時間と費用がかかる。これを「サーチ摩擦(search friction)」という。
ジェネソーヴ(Genesove)とハン(Han)の一連の研究は、サーチ理論を住宅市場に適用し、価格形成と取引時間の関係を解明した。バダリンザ・ラマドライ・清水(2021, JFE)※は、国際的な不動産投資の流れにサーチ摩擦と「重力モデル」がどう作用するかを定式化した。
サーチ摩擦は本質的にゼロにはできない。しかし、情報摩擦、契約摩擦、信用摩擦は技術と制度で大幅に減らすことができる。PropTech が変えるべきは、本質的な摩擦ではなく、人為的に積み重なった摩擦である。
第三の壁——人口動態が作る「動けない家」と「入れない家」
ここからは、もっと根の深い話になる。
日本の住宅ストックの多くは、1970年代から80年代にかけて建てられた。当時は人口が増え、核家族化が進み、夫婦と子ども二人の世帯が標準だった。建てられた家もそれを前提にした間取りだった。だが現在の日本は、単身世帯が3分の1を占め、高齢化が進み、地方では人口が減り続ける社会である。過去の人口予測の誤差が、物理的な住宅ストックとして固定されてしまっている。
この「ズレ」は住み替えを二重に難しくする。郊外や地方の戸建ては、買い手がつかず売れない。所有者は売れないから動けない。一方、都心の駅近マンションは需要が集中して価格が高騰し、買い手が手を出せない。中間層の住み替え連鎖がぷつりと切れる。
2023年住宅・土地統計調査によれば、日本の住宅総数は6,504.7万戸、空き家は900.2万戸、空き家率は13.8%に達した。これは単なる「余った住宅」の問題ではない。過去の人口予測、家族形態、金融制度、相続慣行が、住宅ストックという形で現在に堆積した結果である。私たちの研究でも、住宅市場の問題は単なる価格変動ではなく、時間を超えて残るストックの問題として現れる。誤った人口予測、過去の家族像、過去の金融慣行は、住宅という耐久財の形をとって、数十年後の世代に引き継がれる。
サイス教授も米国の研究で同様の指摘をしている。テクノロジー単独で市場は変わらない。「人口動態×テクノロジー×規制」の交差点でこそ、本物の変化が起きる、と。日本の空き家問題は、PropTech だけでは解けない。区分所有法、相続法、空き家対策特別措置法、容積率規制、制度の総合的な見直しが必要になる。
Durable Mismatch:耐久財としての住宅の宿命
井上・清水の共同研究では、住宅市場の長期的なミスマッチを 「Durable Mismatch(耐久財ミスマッチ)」という概念で定式化している。
住宅は数十年使われる耐久財である。だから、ある時点で建てられた住宅は、その時点の人口予測・家族像・経済構造を物理的に固定化してしまう。人口や経済が変化しても、住宅ストックは追随できない。このタイムラグが、空き家、不適合住宅、住宅価格の二極化として現れる。
OLG(世代重複)モデルでこの現象を分析すると、人口予測の誤差は当該世代だけでなく、その後の数世代にわたって住宅市場に影響を与えることがわかる。日本の現在の空き家問題は、1970~80年代の人口予測(楽観的な人口増加見通し)の予測誤差が、半世紀後の現在に住宅ストックの形で現れているとも解釈できる。
第四の壁——「家は買うもの、住み続けるもの」という思い込み
最後に、もっとも根の深い壁がある。それは私たち自身の中にある「家とは何か」という観念である。
日本では伝統的に、家は「住むための消費財」であり、同時に「子に残す重い負債」だった。マイホームは人生最大の買い物、終の棲家、家族の歴史が刻まれた場所、こうしたメタファーが、住宅の経済的扱いを決めてきた。これに対してアメリカや英国では、家はライフステージに応じて売買する「資産」として位置づけられている。新婚時代はコンドミニアム、子育て期は郊外の戸建て、子どもが独立したら都市部のタウンハウス、引退後はゴルフコースの近く、というように、住まいはライフステージごとに着替えるものなのだ。
この違いは、単なる文化や好みの差ではない。制度がそう設計されているか、いないかの差である。
日本では木造戸建ての法定耐用年数は22年で、それを過ぎると税務上は建物価値がほぼゼロになる。中古住宅の取引は全住宅取引の15%程度にとどまり、英米の70~80%とは雲泥の差である。リフォーム履歴は記録されず、メンテナンスを丁寧にしてきた家もそうでない家も、市場では同じ「築○年の中古」として扱われる。これでは「中古住宅は劣化した品物」というメンタルモデルが再生産されるのも無理はない。
興味深いのは、同じ物件を見ても、関係者によって評価がまったく異なることだ。売り手にとっては「思い出の詰まった我が家」、買い手にとっては「通勤に便利な立地」、銀行にとっては「担保価値の薄い建物」、税務当局にとっては「課税対象の劣化資産」。これだけ評価軸がバラバラだと、取引が成立しにくくなるのは当然である。中古住宅の市場が薄いままなのは、ここにも理由がある。
四つの壁の同時性:なぜ部分的な改革は効かないのか
ここで重要なのは、これら四つの壁が同時に存在し、互いに補強しあっていることである。
金融制度が住み替えを罰するから、消費者は最初の一軒に長く住もうとする。長く住もうとするから、中古住宅市場が育たない。中古市場が育たないから、建物価値が認められない。建物価値が認められないから、銀行は中古に融資をつけない。融資がつかないから、買い手が現れない。買い手がいないから、売り手が動けない。動けないから、住宅ストックは世代を超えて固定される。固定されるから、人口動態とのミスマッチが拡大する。ミスマッチが拡大すると、空き家が増え、地方が衰退し、都市部の価格が高騰する。そしてこのすべてが、「家は一生もの」という資産観を強化する。
この円環構造が、日本の住宅市場の本当の問題である。個別の壁を技術で乗り越えても、円環全体が動かないかぎり、市場は動かない。電子契約を導入しても、リファイナンスが普及していなければ住み替えは増えない。AI 査定を高度化しても、建物の履歴情報がなければ精度には限界がある。中古住宅優遇税制を作っても、住宅ローン控除が新築に偏っていれば効果が相殺される。
PropTech は住宅市場を変える。しかし、PropTech だけでは住宅市場は変わらない。本連載を貫くこの命題の意味は、ここにある。四つの壁は同時に動かさなければならない。
そしてそれは、技術の問題ではなく、社会全体の制度設計の問題である。
「選び直せる資産」にするための四つの転換
ここまで見てきた四つの壁を超えるには、何が必要だろうか。
第一に、金融の流動化である。リファイナンス市場の拡充、団信の年齢中立化、住宅ローン控除の住み替え中立化。 これは技術ではなく制度設計の問題だ。米国の経験が教えてくれるのは、規制要因が技術要因の倍ほどの影響を持つということだ。新しい技術を導入するだけでは不十分で、制度のほうを変えなければ動かない。
第二に、取引技術のシステム化である。検索、査定、契約、決済、引渡しまでを一気通貫で支援する「住み替えエージェント」のようなサービスの登場が鍵を握る。これはアグラワルらの言う第三段階のシステム・ソリューションに当たる。電気の例で言えば、工場のレイアウトそのものを電動機前提に作り直す段階。日本の PropTech が本格的にこの段階に入るのは、おそらく2030年代だろう。
第三に、人口動態とのアラインメントである。空き家ストックの整理、都市部の容積率緩和、相続不動産の積極的処分制度。これらは政治的に難しい課題だが、避けて通れない。
第四に、資産観の転換である。中古住宅の評価方法の標準化、リフォーム履歴のデジタル化、長期優良住宅認定の実効性向上。中古車市場で当たり前の「車検証と整備記録」のようなものが、住宅にも必要だ。アメリカでは CarFax のように、車の事故歴・整備歴を一元管理するサービスが普及している。住宅版の CarFax が日本に根付けば、「中古住宅は劣化した品物」というメンタルモデルは少しずつ崩れていくだろう。
住まいの自由は、誰が運んでくるのか
冒頭の夫婦の話に戻ろう。彼らが「この家で定年まで頑張ろう」と決断したのは、彼らの選択ではあるが、同時に選択を強いられた結果でもある。住み替えという選択肢が、制度・技術・市場の複合的な摩擦によって、事実上閉ざされていたのだ。
住まいは”一生もの”なのか、”選び直せる資産”なのか。理論的に答えれば、それはどちらにもなり得る。住宅という財そのものに本質的な「一生もの性」はない。日米の取引件数の差は、財の本質ではなく、制度思想の差から生じている。
アメリカの住宅市場は、人生が変わることを前提に設計されている。日本の住宅市場は、人生が変わらないことを前提に設計されている。この違いを埋めることが、本連載のすべての回を通じての問いである。
日本の住み替えの不自由さは、PropTech で解ける部分(情報摩擦、検索コスト、契約手続き)と、PropTech では解けない部分(金融制度、人口動態、資産観)に分けられる。前者は今後10年で大きく改善するだろう。しかし後者を変えなければ、技術が進歩しても住み替えの件数は構造的には増えない。
サイス教授の冷静な見立ての本質は、まさにここにある。技術は道具であり、市場の本質は制度と人間の判断にある。 日本の住宅市場が、第三のレジーム転換、すなわち 「住宅を一生に一度の重い意思決定から、ライフステージに応じて選び直す資産へ」と移行できるかどうか。それは PropTech の進歩よりも、金融・法制・税制・教育の同時的な作り直しにかかっている。
住まいの自由は、技術が運んでくるのではない。社会が選び取るものである。
【参考・引用文献】
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Fuster, A., Plosser, M., Schnabl, P., & Vickery, J. (2019). The role of technology in mortgage lending. RFS, 32(5), 1854–1899..
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Ferreira, F., Gyourko, J., & Tracy, J. (2010, 2012). Housing busts and household mobility. JUE / NY Fed Economic Policy Review.
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Bernstein, A., & Struyven, D. (2022). Housing lock: Dutch evidence on the impact of negative home equity on household mobility. AEJ: Economic Policy.
-
Badarinza, C., Ramadorai, T., & Shimizu, C. (2021). Gravity, counterparties, and foreign investment. JFE.
清水 千弘
PropTech-Lab所長
一橋大学大学院ソーシャルデータサイエンス研究科教授、社会科学高等研究院都市空間不動産解析研究センター・センター長。1994年 東京工業大学大学院理工学研究科博士課程中退。東京大学博士(環境学)。財団法人日本不動産研究所研究員、リクルート住宅総合研究所主任研究員、麗澤大学教授、日本大学教授、東京大学特任教授等を歴任。
2022年1月より、当社グループ参画。社外取締役を経て、2024年7月より、当社研究・開発組織『PropTech-Lab』所長に就任。