住まいを選び直す自由 ー住宅流動性と人生設計の経済学ー

第1回:プロローグ:なぜ、いま住まいを選び直す自由を問うのか

目次

 

住宅市場の流動性は、単に家が売れやすいかどうかを示す指標ではない。

 

それは、社会が人生の変化をどれだけ許容するかを示す指標である。

 

住まいの自由は、生き方の自由である。

 

そして住まいの自由は、人生の可能性を解き放つ。

 

 

UNLOCK YOUR POSSIBILITIES.

テクノロジーで、人生の可能性を解き放つ。

 

 

1. 住宅という、もっとも重い財について

住宅は、人間が所有する最も重い財の一つである。しかし、その重さは、土地や建物という物理的性質だけから生まれるものではない。住宅を重くしているのは、金融制度であり、税制であり、取引慣行であり、家族観であり、そして私たち自身の人生観である。

 

住宅市場を研究するとは、単に価格を研究することではない。人がどこに住み、どのように働き、誰と暮らし、どのように老いていくかを、社会がどのように支えているかを問うことである。住宅市場の研究とは、社会がどのような人生を可能にし、どのような人生を制約しているかを問う研究である

 

住宅市場は、福祉政策であり、金融政策であり、都市政策であり、家族政策である。そのいずれか一つの視点で論じても、住宅市場の本質は捉えきれない。これらの政策領域を貫く基礎概念として、住宅市場を捉え直すこと、それが本書の方法論的立場である。

 

この連載は、その問いから出発する。

 

2. 住宅市場の流動性とは何か

本連載の中心命題

本連載を貫く中心命題を、最初に明文化しておきたい。

住宅市場の流動性とは、取引件数を増やすための技術的課題ではない。 それは、人生の変化に社会制度がどれだけ柔軟に応答できるかを測る、 福祉・金融・都市・家族政策を貫く基礎概念である。

家を売りやすくする話と、住まいを自由に選び直せる社会をつくる話は、似て非なるものである。前者は手段の話であり、後者は人生の話である。本連載は、徹頭徹尾、後者を追究する。

 

問題は、住宅が高価であることではない。高価な意思決定であるにもかかわらず、選び直す制度が十分に整っていないことである。日本の住宅市場の重さは、慎重な国民性の結果ではない。過去の合理性が制度として残り続けた結果である。中古住宅市場の薄さは、消費者の好みだけでは説明できない。建物価値を測る制度、履歴を記録する仕組み、金融機関が評価する基準が、十分に連動してこなかったからである。

 

これら三つの命題は、本連載の各章を通じて繰り返し問い直される。それぞれの命題が指し示すのは、居住選択の可逆性という社会概念である。私たちはこの言葉を、本連載の鍵概念として置く。

 

3. なぜ、いま、私たちはこの問いを立てるのか

家を一軒買うことは、多くの日本人にとって人生最大の買い物であり、35 年にわたる住宅ローンとともに、ある種の生き方そのものを選ぶ行為でもある。購入の瞬間に、住む場所、通勤の動線、子どもの学区、近隣のコミュニティ、老後の暮らしまでが一気に決まってしまう。やり直しは効かない。少なくとも、現代の日本ではそう感じられている。

 

しかし世界を見渡すと、住まいはもっと軽やかなものでもある。米国センサス局の推計では、米国人は生涯に十数回の移動を経験するとされる。ライフステージに応じて住まいを着替え、人生の変化に住まいが追いついてくる。住宅という財そのものに本質的な「重さ」はない。重さは、私たちを取り巻く制度・技術・慣習・価値観の総体から生まれてきたものだ。

 

アメリカの住宅市場は、人生が変わることを前提に設計されている。日本の住宅市場は、人生が変わらないことを前提に設計されている。問題は国民性ではない。人生の変化を制度が許容するかどうかである。

 

この見立てに到達するには、長い時間がかかった。筆者は、MIT(マサチューセッツ工科大学)で都市経済学の議論に触れた時、住宅市場が都市の生産性を規定する制度であることを痛感した。NUS(シンガポール国立大学)でアジア都市の成長を見た時、住宅は国家の社会契約そのものでもあることを学んだ。そして日本に戻るたびに、日本の住宅市場が持つ独特の重さをあらためて感じてきた。日本の住宅は、世界でもまれなほど個人の人生に深く結びつきながら、同時に世界でもまれなほど市場の中で動きにくい。この奇妙な二面性が、本連載の主題である。

 

本連載のもう一人の筆者である株式会社property technologiesの代表取締役社長 濱中 雄大が経営の現場で日々向き合っているのは、まさにこの不自由さの中で動こうとする人々の姿である。住み替えたいのに動けない。売りたいのに買い手がいない。買いたいのに踏み出せない。PropTechの事業を通じて見えてくるのは、技術で解ける問題と、技術では解けない問題の境界線である。その境界線を、研究と実装の両側から見つめ直すことが、本連載の根本動機となっている。

 

4. PropTech-Labの設立にあたって

本連載は、株式会社property technologiesに新たに設立されたPropTech-Lab の活動の一環として執筆されている。

 

PropTech-Labの母体である株式会社property technologiesは、 コーポレート・メッセージとして次の言葉を掲げている。

 

UNLOCK YOUR POSSIBILITIES.

テクノロジーで、人生の可能性を解き放つ。

 

そして、その哲学はこう続く。人生100年時代。人生の長さに比例して、転機の数も増えていく。住まいが、その人生の転機をもっと後押しできる存在になるために、テクノロジーにできることはないか。透明性が高く安心な不動産取引、スピードと客観性が向上した査定、一人ひとりのライフスタイルに合う住まい、それらすべてが、データを活用したテクノロジーで実現する。住まいのあらゆる領域とテクノロジーが出会った先に生まれるのは、「誰もが」「いつでも」「何度でも」「気軽に」住み替えることができる未来である。住み替えへの一歩をサポートし、あなたの人生の可能性を解き放つこと、それが、プロパティ・テクノロジーズの使命である。

 

このコーポレート・メッセージは、本連載を貫く三つの命題と完全に響き合う。住まいの自由は生き方の自由であり、住宅流動性は人生の変化への社会の許容度であり、 PropTech は住宅市場を変えるが、PropTech だけでは住宅市場は変わらない。そして、これら三つの命題が指し示しているのは、結局のところ、人生の可能性を解き放つという一つの目的である。本連載を貫く思想と、母体企業の使命は、ここで一つになる。

 

PropTech-Labは、不動産テクノロジーの最前線で事業を営む実務の知と、不動産経済学・データサイエンスの学術の知を融合させ、日本の住宅市場を「人生に伴走する市場」へと変革することを使命として設立された研究組織である。共同創設者である濱中雄大が代表取締役社長を務める同社の事業基盤の上に、清水千弘が所長として研究活動を主宰する。

 

私たちが取り組むのは、目の前の住宅取引を効率化することだけではない。日本社会において住まいが「一生に一度の重い意思決定」から「ライフステージに応じて自由に選び直せる選択肢」へと変わっていくための、制度・技術・市場・文化の総合的な再設計である。これは一企業の事業を超え、一研究機関の活動を超えた、社会的な課題への挑戦である。そしてその先に開かれるのが、人生の可能性を解き放つ社会である。

PropTech-Labはこの挑戦のために、四つの活動軸を持っている。

 

第一に、研究。住宅市場の流動性、価格形成、サーチ摩擦、人口動態とのミスマッチ、AI の実装可能性について、国際的な学術研究と日本の実証データを結びつけて分析していく。

 

第二に、実装。研究の成果を、実際のサービス・プロダクトに落とし込む。査定、検索、契約、ファイナンス、住み替え動線の各領域で、消費者が「もっと自由に選び直せる」体験を技術と運用の両面から作り上げる。

 

第三に、提言。日本の住宅政策、税制、金融制度、業法のあり方について、実務と学術の双方の視点から具体的な改革案を示し、社会に発信する。

 

第四に、対話。生活者、業界関係者、行政、研究者、メディアと対話を重ね、 「家は一生もの」という常識を、世代を超えて少しずつ更新していく。

 

本連載は、これら四つの軸のうち、特に「対話」のための場として企画された。学術論文では届かない読者層に、なぜ住み替えがこれほど不自由なのか、テクノロジーは何を変えうるのか、私たちはどんな未来を目指すのかを、わかりやすく、しかし妥協のない密度で伝えていきたい。そしてその対話の先に、読者一人ひとりの人生の可能性が解き放たれることを願っている。

 

5. 私たちが目指す未来

ここに、PropTech-Labが目指す未来像を、簡潔に記しておきたい。

 

第一に、住み替えが「人生の重大事件」ではなく「ライフスタイルの選択」になる社会。仕事の変化、家族の節目、健康状態の変化、心の変化に応じて、住まいが軽やかに伴走する社会である。

 

第二に、住まいの選択肢が階層や地域によって不当に狭められない社会。高所得層だけ、都市部だけが住み替えの自由を享受するのではなく、地方の住民も、中間層も、若い世代も高齢者も、それぞれの人生に応じた住まいを選べる社会である。

 

第三に、住宅ストックが世代を超えて循環する社会。高齢者が広い戸建てに縛られず、子育て世代が狭いマンションに押し込められず、空き家が地域資源として再生される。住宅ストックの世代間の新陳代謝が、社会全体の幸福度を高める。

 

第四に、テクノロジーが消費者の判断を支援する社会。AI が選ぶのではなく、AI が選ぶための情報を完璧に整える。人間の判断の自由は守られ、判断に必要な材料は最大化される。プラットフォーマーや業界の論理に消費者が組み込まれるのではなく、消費者の側に判断の主導権がある。

 

第五に、住まいを通じて人生をより自由に生きられる社会。住み替えがしやすい社会とは、人生をやり直しやすい社会である。失敗してもまた立ち上がれる、変化を恐れずに挑戦できる、自分の本当に望む生き方を追求できる、そういう社会の基盤として、住宅市場の自由化はある。

 

これら五つの未来像は、突き詰めれば一つの言葉に集約される。人生の可能性を解き放つことである。仕事の選択肢、家族の形、老後の暮らし、子育ての場所、夢を追う場所、人生のあらゆる可能性は、住まいという基盤の上で展開される。住まいが固定されると、人生の可能性も固定される。住まいが自由になると、人生の可能性が解き放たれる。

 

UNLOCK YOUR POSSIBILITIES.  テクノロジーで、人生の可能性を解き放つ
このコーポレート・メッセージは、私たちが目指す未来そのものの言語化でもある。

 

これらは理想である。しかし同時に、技術と制度と文化を粘り強く動かしていけば、2100 年を待たずとも、あるいは2100 年に向けて段階的に、現実的に近づける目標でもある。私たちはその両方を信じて、研究と実装と提言と対話を続けていく。

 

6. 連載の構成と論理

連載は全9回を予定している。

 

【第1回】プロローグ:なぜ、いま住まいを選び直す自由を問うのか

【第2回】AIは仕事を奪うのか──タスク代替の経済学と「人間と機械の分業」

【第3回】住宅はなぜ動かないのか──「一生もの」から「選び直せる資産」へ

【第4回】取引の重さの経済学──情報・信頼・制度をPropTechはどう組み替えるか

【第5回】住宅流動性と人生の自由──仕事・家族・老後を縛るロックイン効果

【第6回】AIは住まいを選べるか──予測、判断、責任の新しい分担

【第7回】人生に伴走する社会へ/AIと制度とPropTech Labが描く未来―前編

【第8回】人生に伴走する社会へ/AIと制度とPropTech Labが描く未来―後編

【第9回】エピローグ:事業と研究が融合した日

 

7. 三人の研究者と

理論的背骨について

理論的な背骨は、三人の研究者の思考に多くを負っている。 MIT のアルベルト・サイス(Albert Saiz)、オックスフォードのアンドリュー・バウム(Andrew Baum)、そしてトロント大学のアジェイ・アグラワル(Ajay Agrawal)である。

 

筆者にとって彼ら三人は、単なる引用元の研究者ではない。サイスとアグラワルは、長年の対話を重ねてきた友人である。住宅市場の構造、データの寡占化、AI が産業をどう変えていくのか、それぞれの大陸で研究を続けながらも、節目ごとに議論を交わし、互いの研究に影響を与えあってきた。バウムからは2000年代前半に不動産投資の科学を学んだ。当時まだ日本ではほとんど紹介されていなかった現代不動産投資論の体系を、オックスフォードでの彼の指導を通じて吸収する機会を得たことが、その後の筆者の研究と、本連載の問題意識の出発点になっている。

 

サイスとバウムは不動産テック(PropTech)の俯瞰図を提供し、アグラワルは AI 時代の産業変革を「予測コストの低下」という単純で強力な枠組みで読み解いてみせた。本連載では、彼らの視点を住まいの問題に適用しながら、日本社会の固有の文脈と、私たちPropTech-Labの実践を行き来して探っていく。三人それぞれとの個人的な対話の積み重ねが、本連載の行間に静かに流れていることを、ここに記しておきたい。

 

8. 結び

住まいの問題は、家の問題ではない。生き方の問題である。本連載がその思考の一助になり、読者の皆様と私たちとの対話の入り口となれば幸いである。

 

そして、本連載を貫く決め台詞を、ここに改めて記しておきたい。

PropTech は住宅市場を変える。しかし、PropTech だけでは住宅市場は変わらない。 住宅流動性は、社会が人生の変化をどれだけ許容するかの指標である。 住まいの自由は、生き方の自由である。 そして住まいの自由は、人生の可能性を解き放つ、UNLOCK YOUR POSSIBILITIES.

この四つの命題に、私たちの研究と実装と提言と対話のすべてが収斂していく。

 

 

濱中 雄大(株式会社property technologies 代表取締役社長/PropTech-Lab 主宰)
清水 千弘(一橋大学ソーシャル・データサイエンス研究科 教授/PropTech-Lab所長)

清水 千弘

PropTech-Lab所長

一橋大学大学院ソーシャルデータサイエンス研究科教授、社会科学高等研究院都市空間不動産解析研究センター・センター長。1994年 東京工業大学大学院理工学研究科博士課程中退。東京大学博士(環境学)。財団法人日本不動産研究所研究員、リクルート住宅総合研究所主任研究員、麗澤大学教授、日本大学教授、東京大学特任教授等を歴任。
2022年1月より、当社グループ参画。社外取締役を経て、2024年7月より、当社研究・開発組織『PropTech-Lab』所長に就任。

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